わが心の宮崎
日本のトップ企業の中枢で活躍されている、弊社代表菅原と同じ宮崎県出身経営者の方々へのインタビュー。
テレビ宮崎と弊社の両社創業記念コラボレーション企画として、高視聴率・好評を博した番組です。
インタビュー一覧
代表取締役社長
伊東信一郎様
全日本空輸株式会社
代表取締役社長
伊東信一郎様
[2009年9月19・26日(土)放送]
西都市三納出身。県立妻高校~九州大学経済学部に進み、全日本空輸株式会社入社、事業計画部長、副社長を歴任後2009年4月、社長に就任した。 大切にしていることは、誠実であること。お客様やその地域、社会に対して誠実であることが一番大切。
宮崎への提言・・・宮崎にはたくさんいいものがある。自信を持って宮崎の物を売りだしていけばいい。観光についても滞在型として、いろんな工夫をもっとする余地はあると思う。
相談役(前会長)
田崎雅元様
川崎重工業
相談役(前会長)
田崎雅元様
[2009年10月17・24日(土)放送]
旧満州で生まれ、戦後高千穂町に引揚げ、その後宮崎市に移り、宮崎大宮高校~九州大学を卒業後、川崎重工業入社。社長、会長を歴任後2009年6月から相談役。
20代のころ、大型オートバイ売込みのためアメリカに渡り、そこでアメリカ進出の基礎を作る。
座右の銘は「着眼大局、着手小局」と「Think Globally Act Locally」。母校での講演でも「宮崎にいても、国の全体のことを考え、地球全体のことも考える」ことを伝えている。
専務執行役員
寺坂史明様
サッポロビール
専務執行役員
寺坂史明様
[2009年11月21・28日(土)放送]
宮崎市出身。宮崎大宮高校~慶応義塾大学に進み、サッポロビールに入社。営業・宣伝・マーケティングなどを担当し2005年取締役兼専務執行役員、2009年3月より現職。
20~30代、充実した営業時代を過ごした。まずは人からの依頼をまず片付けることで、人から信頼され、自分も仕事を覚え、また、いろんな情報が集まるようになった。
宮崎への提言・・・宮崎が大変恵まれた土地ということは離れてみたらすごく分かる。「宮崎」という土台があるので全国いろんな所に行っても活躍できる。
取締役
眞榮田雅也様
キヤノン
取締役
眞榮田雅也様
[2009年12月19・26日(土)放送]
延岡市出身。延岡高校~九州大学に進み、キヤノンに入社。主にデジタルカメラの開発に従事する。2007年から取締役イメージコミュニケーション事業本部長。
いろんな製品開発に携わってきたが、キヤノンが初めて民生用の電子カメラを世に送り出した時のプロジェクトチーフを任された時が一番強烈に印象に残っている。
ふるさと宮崎について・・・延岡は、山と川と海が非常にきれいなところ。東京とは違う「緑色」が私の記憶に焼き付いている。もしかしたら「キヤノン」のカメラの「緑色」は南方の「緑色」かも知らない。
常勤監査役(前副社長)
長友英夫様
東京海上日動火災保険
常勤監査役(前副社長)
長友英夫様
[2010年1月16・23日(土)放送]
大阪府生まれ。中学、高校を宮崎で過ごす。宮崎南高校~早稲田大学を卒業後、東京海上火災保険(当時)に入社。国内外で営業を中心に従事する。2007年6月取締役副社長、2009年6月より現職。
座右の銘は「利他」。自分本位ではなく、お客様の環境立場でものごとを考えること、これが発想の原点となる。
宮崎での思い出・・・東京五輪の聖火リレー(鹿児島、宮崎、千歳が聖火リレーの3起点)ランナーに選ばれたこと。たくさんの人に拍手しながら迎えられたことを鮮明に覚えている。
社長
村田博文様
財界研究所
社長
村田博文様
[2010年2月20・27日(土)放送]
串間市出身。鹿児島県立志布志高校~早稲田大学を卒業後、産経新聞社入社。その後、財界研究所へ。
座右の銘は「人生至る所に青山あり」。コツコツ努力していれば誰かが見てくれている。会社にはいなくても第三者の会社の中で見てくれる。
宮崎への提言・・・中央から引っ張ってくる時代は終わった。自分たちから業を興して発信する時代。宮崎は、今後いろいろな分野で可能性を持っている。
グループ代表
重久吉弘様
日揮
グループ代表
重久吉弘様
[2010年3月20・27日(土)放送]
宮崎市出身。宮崎大宮高校~慶応義塾大学を卒業後、日本揮発油(当時)に入社。国際事業を担当する。1996年社長に就任、会長を歴任後2009年6月より現職。
会社経営で一番大事なことは、「先を見る目」「人を見る目」。先の変化についで大事なことは、スピーディーに対応すること、これは絶対に強く守っていっている。
宮崎への提言・・・世界的食糧危機への貢献として、宮崎でアグリビジネスを伸ばしていけるのではないかと思っている。
上席執行役員
大苫直樹様
ファーストリテイリング
上席執行役員
大苫直樹様
[2010年4月17・24日(土)放]
延岡市出身。延岡日高校~税務大学校を卒業後、国税庁職員に。その後、福武書店(現・ベネッセコーポレーション)を経て2001年にファーストリテイリングに入社。現在、ユニクロ取締役COOとファーストリテイリンググループ上席執行役員を務める。
柳井氏から学んだ座右の銘は「店は客のためにあり、店員とともに栄える、そして、店主とともに滅びる」。小売業が日々お客様と接しているのは店頭。お店が一番輝いていないといけない。本部が偉そうにしている会社は絶対衰退する。
宮崎の若者へ・・・自分に期待すること。そういう人は他人から見ると魅力的なので人が寄ってくるし興味を持ってくれる。
常務取締役
小西尚子様
ポーラ
常務取締役
小西尚子様
[2010年5月15・22日(土)放送]
西都市出身。宮崎西高校~鹿児島大学工学部を卒業後、ポーラ化粧品本舗(当時)に入社。百貨店事業部長などを努め、2006年に執行役員就任。現在、常務取締役(マーケティング・新流通担当)。
上司からの一言「頑張りぬく」が人生の転機に。「頑張る」じゃなく「頑張りぬかない」とその先にあるものは手に入らないということ。その後、ポーラブランドのコンセプトショップとして再チャレンジし、成功させた。
働く女性へ・・・自分の限界に達した時、そこでいろんなことを学んでいけば、もっと次の成長がある。
代表取締役
鎌田正彦様
SBSホールディングス
代表取締役
鎌田正彦様
[2010年6月19・26日(土)放送]
延岡市出身。延岡高校を卒業後、東京佐川急便に入社。退社後1987年関東即配(当時)を設立。雪印物流などを買収し急成長。現在、持ち株会社SBSホールディングス社長を務め、グループ全体を率いる。
物流会社が「商流」のやり方を変えることによって爆発的なチェンジが起こる。そこに大きなチャンスがあると思っている。
ふるさと宮崎について・・・観光立県、高齢者特区としてのまちづくりを。また、ベンチャー企業がもっと育って欲しい。
取締役副社長
日高裕介様
サイバーエージェント
取締役副社長
日高裕介様
[2010年7月10・17日(土)放送]
宮崎市出身。日向学院高校~慶応義塾大学を卒業後、インテリジェンスに入社。しかし入社1年を待たずに藤田社長と1998年にサイバーエージェントを設立。現在、専務取締役のほか関連会社の社長も務める。
ブログとしては後発のアメーバだが、独自の芸能人戦略で爆発的に会員数を伸ばした。これからは、日本のコンテンツを世界でヒットさせたいと思っている。
宮崎を元気に!・・・IT全体でいうと技術者が圧倒的に足りない。IT関連の教育機関が充実しているとビジネスの機会が広がると思う。
代表取締役会長
津末博澄様
三井生命保険
代表取締役会長
津末博澄様
[2010年8月14・21日(土)放送]
熊本県生まれ。父の仕事の関係で小中学校を西米良村、諸塚村などで過ごす。宮崎大宮高校~京都大学を卒業後、三井銀行(当時)に入行。三井住友銀行の専務執行役員、副頭取を歴任し、2009年6月より三井生命の代表取締役会長に就任。
ビジネスポリシーは「真のチームワーク」。一人一人の能力が発揮できるようなリーダーが必要。それがないと組織としての力がつかない。
宮崎の若者へ・・・執着心を持つことを勧める。都市圏と比べると厳しい競争という環境があまりない。伸びやかさを忘れずに一方では執着心をもってというのが一番すばらしい。
常務取締役
岡田直敏様
日本経済新聞社
常務取締役
岡田直敏様
[2010年9月18(土)・27(月)日放送]
門川町で生まれ、小中学校を都城市で過ごす。鹿児島ラ・サール高校~東京大学法学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。パリ支局長、編集局次長などを歴任し、2010年3月より常務取締役(電子新聞事業・教育事業担当)
日経、自分自身が大事にしていることは、品質のいいものを提供するメディアなんだということを分かっていただくこと。
宮崎への思い・・・よそよりも恵まれた自然をいかせるような振興策がとれると良いのではないか。
代表取締役専務
大窪福一様
カナデン
代表取締役専務
大窪福一様
[2010年10月16・23日(土)放送]
都城市出身。都城泉ヶ丘高校~日本電子工学院(当時)を卒業後、神奈川電気(当時)に入社。取締役電子事業部長などを歴任し、2009年6月より代表取締役専務(管理部門担当、総務人事室長兼コンプライアンス室長)。
座右の銘は2つ。「行動は知識を生む」と「至誠 天に通ず」。
宮崎の若者へ・・・自分が思ったこと、やりたいこと、自分に自問自答してそういうことに挑戦して欲しい。
専務取締役
吉川秀人様
日興コーディアル証券
専務取締役
吉川秀人様
[2010年11月20・27日(土)放送]
仕事のポリシーは、組織を維持していかに発展させていくか。とにかく人を大事にしないことには、組織として成り立たない。個々人の力の差があっても団結力が必ずそれをカバーできる。また、団結力をつくるのが私の役割。
宮崎の若者へ・・・自分が思ったこと、やりたいこと、自分に自問自答してそういうことに挑戦して欲しい。
顧問
益﨑悟様
東レ
顧問
益﨑悟様
[2010年12月18・25日(土)放送]
宮崎市出身。宮崎大宮高校~神戸大学を卒業後、東洋レーヨン(当時)に入社。ニューヨークや香港などで辣腕をふるう。その後、副社長などを歴任し2009年6月より現職。東レインターナショナルの相談役も兼任。
香港で仕事をするということは世界中と商売をするということ。まさに世界を股にかけるものだった。
宮崎への提言・・・宮崎の方たちは基本的にやさしい。もって生まれた性格がある。宮崎の人なら、人が欲しいというものを商品化して合わせこんでいくことができる。
常務取締役
加藤信夫様
スポーツニッポン新聞社
常務取締役
加藤信夫様
[2011年1月15・22(土)放送]
宮崎市で生まれ中学までを串間市で過ごす。鹿児島ラ・サール高校~早稲田大学を卒業後、毎日新聞社に入社。西部本社長崎市局長、編集局長などを歴任。その後、2007年6月よりスポーツニッポン新聞社に移り、2010年6月より現職(広告担当)。
スポーツ紙というのは「楽観の新聞」。プラス思考で楽しいことがある思わせるもの。いろんな種類の記事があるがそれも含めて本音の新聞である。
宮崎の今後について・・・もっと伸びやかな観光や農業ができる場所。医療、介護ができる場所という可能性が膨らんでいる。
取締役 常務執行役員
水永正憲様
旭化成
取締役 常務執行役員
水永正憲様
2011年2月19・26(土)放送]
都農町生まれ。高鍋高校~九州大学を卒業後、旭化成工業(当時)に入社。労務部長、上席執行役員、延岡市社長などを歴任後、2010年4月より現職(人財・労務担当、コンプライアンス担当補佐)。
2006年から13年ぶりに地元の高校生の採用を再開できた。その時、多くの地元の方々に喜んでもらえたことから、若い人の採用を続けていくということは(会社の)責任のひとつなんだと改めて感じた。
宮崎の若者へ・・・地産地消エネルギーも規模は小さいけれど必ず必要になるようなビジネス。東京やそういうところで学んだものを持ち帰って故郷で仕事をしていくことができる時代じゃないかと思う。
取締役球団代表
清武英利様
読売巨人軍
取締役球団代表
清武英利様
[2011年3月19・26日(土)放送]
宮崎市出身。宮崎南高校~立命館大学を卒業後、読売新聞に入社。社会部記者として活躍。中部本社(当時)社会部長、東京本社運動部長などを歴任後、2004年8月より読売巨人軍取締役球団代表に就任。現在は編成本部長と育成部長を兼任する。
読売巨人軍取締役球団代表に就任後、育成選手制度を設立し、選手の裾野を広げる改革に取り組む。この育成選手制度で入団して巨人で活躍している選手もいる。
宮崎の若者へ・・・絶対に’Serendipity’(自分が求めずして幸運に巡り合う力)はあるんだということを自分の胸の中にたたんで頑張ろう。
代表取締役社長
平田弘様
グンゼ
代表取締役社長
平田弘様
[2011年4月16・23(土)放送]
延岡市出身。延岡西高校~熊本大学を卒業後、グンゼに入社。取締役管理部長、東京支社長などを歴任後、2006年6月より代表取締役社長に就任。現在はCEOとCOOを兼任する。
今年(2011年)のキーワードは自らの造語「進化無限」。大きな転換期にある中、商品も進化しないと新しい消費者に受け入れられない。
宮崎の若者へ・・・宮崎だけでなく日本の若者はリスクを恐れ、内向きになりがち。自ら進化し向上することは、自分、郷土、日本、人類のためになる。そこには苦労もあるが喜びもある。
代表取締役
南園克己様
日東紡
代表取締役
南園克己様
[2011年5月21・28(土)放送]
都城市(旧高崎町)出身。都城泉ヶ丘高校~九州大学を卒業後、日東紡に入社。人事部長、常務取締役などを歴任後、2005年4月より代表取締役社長に就任。2008年6月より代表取締役。
日東紡は、他の繊維会社の比べても早い時期からいろんな分野に意欲的に取り組んでいる。若い人たちがそういうったことに意欲的に取り組んでくれているということは、非常にうれしく思う。
宮崎の若者へ・・・自分自身で決断する。判断するためにはそれ相当に汗をかかないと判断できない。ここぞという時には手を抜くな。
代表取締役社長
中城正一様
トライウイン
代表取締役社長
中城正一様
[2011年6月17・24日(土)放送]
都城市(旧山之口町)出身。都城商業高校を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)に入社。戦略マーケティング部長などを歴任後退社し、2005年5月にトライウインを設立。代表取締役社長に就任。
トライウインの経営理念は、1つ目は「感謝の気持ち」、2つ目は「Win-Winの気持ちを忘れない。」、3つ目は「大手メーカーに正面から挑戦をしていく」。また、「世界初、日本初、業界初」の3つのフレーズに当てはまらない商品は基本的に開発しない。中小企業だからこそ思い切ったことができる。
宮崎の若者へ・・・一番大事なことは「思い」。「夢」ではなくて自分はこういうことをしていくんだという「思い」を、いろんな機会に自分で醸成していくことが大事。
取締役副社長/CCO
永井久生様
ライトパブリシテイ
取締役副社長/CCO
永井久生様
[2011年7月2・9(土)放送]
宮崎市出身。宮崎大宮高校~明治大学を卒業後、電通映画社(現・電通テック)に入社。4年後に退社しアメリカに留学。帰国後、第一広告社(現・I&S BBDO)に入社し取締役常務執行役員などを歴任。2007年円満退社しライトパブリシティに入社、現在取締役副社長、チーフクリエイティブオフィサーをつとめる。
東日本大震災が広告を見つめ直すきっかけになった。この時、広告でモノを売るのではなくて何かメッセージを与える方向に持っていけば、分かっていただけるのではと思った。
宮崎の若者へ・・・「書よ捨て町へ出よう」~変に知性や学力ということを身につけるよりも、町に出て行って、色んな人と接することが大事。
代表取締役
川越達也様
タツヤ・カワゴエ
代表取締役
川越達也様
[2011年8月6・13(土)放送]
国富町出身。本庄高校~大阪あべの辻調理師専門学校を卒業後、大阪、神戸、東京などで修行を積み2000年に独立。2006年「TATSUYA KAWAGOE」に改称し代官山に移転。現在、シェフの活動の他フードコーディネーターなどもつとめる。
どんな世界でも下積みが大事。ちゃんと下積みがあって、辛抱しないといけない時代があって、ようやく今、こんな形でお仕事をさせていただいている。
宮崎の若者へ・・・自分が元気でいられることがすごく幸せだなって実感する日々が増えると、いろんなことのチャンスも訪れてくるし前向きになれると思う。
代表取締役社長
甲斐敏彦様
日機装
代表取締役社長
甲斐敏彦様
[2011年9月17・24日(土)放送]
宮崎市出身。宮崎大宮高校~東京大学を卒業後、日本勧業銀行(現・みずほ銀行)に入行、長く海外に赴任。退社後、2000年日機装に入社し執行役員などを歴任。2004年から代表取締役社長をつとめる。
日機装の事業の一つで、血液透析の分野では日本ではパイオニア的な位置づけをずっと担ってきた。宮崎県の透析装置のシェアは(日機装製が)特異的に高い。(地元の方々に信頼されるのは)非常に嬉しく思う。
宮崎の若者へ・・・せっかく「楽天的」だといういい資質があるので、経験を積んで「想像力」が働くようになるといい。
法律事務所
代表取締役社長 原壽様様
長島・大野・常松
法律事務所
代表取締役社長 原壽様様
[2011年10月8・15(土)放送]
宮崎市出身。宮崎南高校~東京大学を卒業後。1975年長島・大野法律事務所(当時)に入所後、より高度な専門的法学教育を受けるためアメリカに渡る。2000年マネージング・パートナー弁護士となり、2006年より代表弁護士。
若い頃から自分の生き方として「自分の頭で考える」ことを強く思ってきた。そういう意味でも弁護士になって良かったと思う。日本の戦後はうまく行き過ぎでハングリーさがなくなってしまった。自分の頭で考えなくても周りとうまくやっていればうまくいくというのが長く続き過ぎたのかもしれない。
宮崎の若者へ・・・人生いろんな局面がある。それを乗り越えて一定のポジションというところになったら宮崎県人の良さというのが、すごく発揮できると思う。
取締役会長
山内純子様
ANAラーニング
取締役会長
山内純子様
[2011年11月18・25(土)放送]
延岡市生まれ、延岡高校出身。1970年全日本空輸に入社、客室乗務員としてフライトに従事。1991年全日空初の客室乗務員管理職に昇格、2004年には航空業界初の女性役員に就任。取締役執行役員客室本部長などを歴任後、2010年よりANAラーニング取締役会長をつとめる。
「おもてなし」を海外へ~日本の「おもてなし」はとても評価をされてきている。オリンピックや万博がひとつのきっかけでニーズが高まってきている。日本の「おもてなし」を伝えていくことで、両国の関係がうまくいくというような貢献ができればいい。
宮崎の若者へ・・・「宮崎県から自分は発信するんだ」という思いで、いろんな場面で活躍してもらいたい。
特別相談役
高野瀬忠明様
雪印メグミルク
特別相談役
高野瀬忠明様
[2012年1月21・28日(土)放送]
高原町出身。宮崎大宮高校~宮崎大学農学部を卒業後、1970年旧雪印乳業に入社、冷凍食品営業部長などを歴任。2002年執行役員育児品事業部長から代表取締役社長に就任、雪印乳業の再建に奔走した。現在は、雪印メグミルク特別相談役のほか、日本酪農乳業協会会長もつとめる。
取締役の経験のないまま、いきなり社長という話があった時、自分の「天命」だと思った。(坂本龍馬の言う)「世の人はなんとも言わば言え、我が為すことは我のみぞ知る」というように、再建を進める中、支えたものは「自分」だった。
今の日本の若者へ・・・自分たちの世代になった時に色んなことが自分たちの問題としてとらえなければいけない。「しっかり発言していく、意見を言っていく」そこが大事だと思っている。
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